朝、起きて鼻歌が出れば「まだ音楽を続けられる」ってことなんです

ミュージシャン
鈴木慶一さん

 日本ロック史上に名を刻む伝説のバンド「はちみつぱい」「ムーンライダーズ」の活動をはじめ、映画からコマーシャルに至るまで多彩な音楽を手がけ、国内外の熱狂的なファンに支持される鈴木慶一さん。49年間にわたって最前線で音楽を生み出しつづける鈴木さんに、元気の秘訣を伺いました。

体が欲しているものに素直に従って自然体で過ごしているんです

[すずき・けいいち]

1951年、東京生まれ。1970年頃より音楽活動を始める。1972年、「はちみつぱい」を結成し、日本ロックバンドの草分け的存在となる。1975年、「はちみつぱい」を母体とする「ムーンライダーズ」を結成。ソロ活動やさまざまなアーティストへの多数の楽曲提供を行うとともに、映画、ゲーム、コマーシャルなど、多彩な分野での音楽活動を行う。2008年、ソロアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』で第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。また、北野武監督『座頭市』『アウトレイジ 最終章』の映画音楽で第27回・第41回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞。

 私は、少しでも具合が悪くなると、すぐに病院に行くことにしています。ところが、主治医の先生に診てもらうと、決まってなんともない。血液検査や内視鏡検査の結果も問題なし。先生から「90歳まで生きられる」と太鼓判を押されるほどです。といっても、特別なことをしているわけではありせん。3日以上続けて外食しないように注意したり、ビタミンとカルシウムをサプリメントで補ったりして体のバランスを整えることくらいですね。

 健康でいられるのは、きっと両親のおかげです。両親から「学校に行っているとき以外は、寝るのも起きるのも、ご飯を食べるのも何時でもいい」と容認され、のびのびと育ちました。子どもの頃から、自分の体の欲求に素直にこたえられる生活を続けてきたんです。

 最近の例でいえば、昼食のときにビールを飲むとしますよね。すると、なんだか眠くなって夕方には寝てしまい、真夜中に起きる。明け方まで夢中で曲を作って疲れたらまた寝る――毎日がその繰り返し。一見不規則な生活のようでも、体が欲しているものに素直に従って自然体で過ごしているから、健康でいられるんでしょうね。

 音楽と同様にサッカーも、私の体が自然に求めるものの1つです。ボールを追って体を思い切り動かすのは楽しいし、気持ちがいい。試合の後、チームのメンバーといっしょに飲むビールは、これがまた格別にうまいんです。ビールがうまいっていうのはすごく重要。ぐっすり眠れますから。翌朝すっきり目覚めると、「じゃあ、作曲するか」という気持ちになるんですよね。

 不思議なもので、60歳を過ぎても、練習を積むと少しずつうまくなっていくんです。試合の前にはシュートの練習なんかしてね。相当真面目にやっています。とはいえ、ミスをして怒られることもありますよ。「何やってんだよ、鈴木!」とかね。一生懸命やっているので多少悔しさを感じないではありませんが、残念ながらミスをしたのは自分。「すいません」って素直な気持ちで謝ります。おかげで最近は怒られません(笑)。

 物事の受け入れ方が、年齢を重ねるにつれて変わってきたんです。人の意見に耳を傾けたり、柔軟に考えたりできるようになったのは、60代になってから。それが、年を取るってことのおもしろさですね。

49年間にわたる音楽活動の熱源は「好き」という気持ちです

鈴木さんの背面にある大きな棚一面に、手がけた作品の数々が並ぶ

 音楽活動を始めて49年がたちます。半世紀近く音楽活動を続けてきた理由は、とにかく音楽が好きだから。音楽への情熱は、ギターを初めて手にした10代の頃とちっとも変わっていません。

 1975年に結成したロックバンド「ムーンライダーズ」は2011年から活動休止中ですが、メンバーはいまもかけがえのない仲間なんです。親兄弟は別にしても、ことによると結婚相手よりもずっと長くいっしょにいるわけですからね。仲間であると同時にライバルでもあるので、他のメンバーがいい曲を作ると、素直に感嘆する反面、正直悔しくもなるんですよね。

 いまはソロの他、高橋幸宏やKERAとのユニット、そして年齢も性別もさまざまなメンバーが集まった「コントロヴァーシャル・スパーク」というバンドで活動しています。このバンドのメンバーも、やはりよいライバルなんです。というより、ライバルになれる人たちといっしょに音楽をやりたいんです。誰か1人が主役になるのではなく、全員が曲を書けて全員が歌えるのが理想ですね。

 年齢を重ねるにつれて、記憶力や体力といった〝失っていくもの〟が増えていきますよね。一般的に、失うというのは悲しいことなのかもしれません。

 でも、失うものが多ければ多いほど、新しいものを受け入れるための〝空間〟は、どんどん広がっているはずなんです。脳の容量なんてある程度決まっていますしね。新しい曲作りに熱中していると、直前に作っていたのはどんな曲だったのかをすっかり忘れてしまうんです。笑い話のようですが、なにしろ膨大な数の楽曲を手がけてきましたから。JASRAC(日本音楽著作権協会)に登録した曲の5倍は作ってきたんじゃないかな。

 それでも、30年ほど前に耳を患ったときは、「もう音楽を続けることはできない」と絶望的な気持ちになりました。いまだに聞き取れない周波数帯域があるし、耳の状態も日によって違うから、克服できたわけではありません。ただ、周りの意見を聞きながら試行錯誤していると、自分の聴覚の特性というものが徐々につかめるようになってくるんです。制約だらけで思いどおりにならない現実であっても、なんとかつきあっていけるようになるんですね。

 曲を作るときも、以前に比べると、締め切りといった制約があるほうがいい曲ができると思えるようになったんです。だから、どんなことでも〝人生の締め切り〟を意識すると、真摯に向き合って一生懸命に取り組めるのかもしれませんね。

 とはいえ、自分の音楽に100%満足したことはありません。100%満足してしまうと、それで終わりだと思うから。曲を聴いてくれる皆さんには申し訳ないけれど、ちょっとした不満や後悔の気持ちが残るからこそ、また新しく次の曲作りに向かうことができるんです。私にとって、朝起きて鼻歌が自然に出てくるってことは、音楽を続けていけるってことなんですよね。