がんと闘う患者さんたちに「がんをしても終わりではない」という希望を届けたい

NPO法人ファイブイヤーズ代表
大久保淳一さん

「マラソンに復帰する!」と強く決意して、精巣がんと間質性肺炎を乗り越えました

[おおくぼ・じゅんいち]

1964年、長野県生まれ。大学院修了後、石油会社に就職。6年後、退職し米国留学。その後、外資系の大手金融会社で営業マンとして勤務しながら、サロマ湖100㌔マラソンを完走。2007年、ステージⅢ‐bの精巣がんと診断。2015年、がん患者と家族を支援するコミュニティサイト「ファイブイヤーズ」を設立。著書に『いのちのスタートライン』(講談社)がある。

 30代半ばから、ランナーとして毎日のようにランニングをしていたので、体力には自信がありました。フルマラソンだけでなく、100㌔もの長距離を走るウルトラマラソンにも定期的に出場できるように健康にも気を遣っていました。

 ところが、2007年2月、ステージⅢ‐bの精巣がんが見つかったのです。しかも、検査の結果、腹部と肺、首に転移していることも分かりました。

 がんが見つかったきっかけはまったくの偶然でした。冬の凍結した道路でランニング中に転倒した私は、骨折と靭帯断裂という大ケガを負いました。手術のために入院して検査を受けたところ、がんと判明したのです。

 当時、私は42歳。外資系の大手金融会社に勤務し、営業マンとしてバリバリ働いていました。家庭では8歳と6歳の子どもの父親として、家族の未来を背負っていました。順風満帆だった人生は、突然のがんの告知によって、嵐の真っただ中に放り出されてしまったのです。

 納得のいく治療を受けたいと思った私は、がんの治療法についてとことん調べました。ところが、本やインターネットでがんの情報を得ようとすると、死を意識させるものばかりが目について不安が募る一方でした。

 期待した情報が得られない焦りや不安だけでなく、周囲からの同情や視線も、孤独感に追い打ちをかけました。相手に悪気はないと分かっていても、周囲の反応に対してどうしても敏感になったり、傷つきやすくなったりしてしまうのです。

 一方で、私にとって大きな支えとなったのは、実際にがんを経験した人たちの具体的な体験談でした。「大久保さんと同じ精巣がんから復活劇を遂げた、ランス・アームストロングという自転車選手がいるよ」と教えてもらったことは、大きな励みになりました。彼の生き方に感銘を受けた私は、サロマ湖100㌔マラソンに復帰するという強い決意を固め、治療に臨む気力を保つことができたのです。

 主治医にも恵まれ、治療について十分納得するまで説明を受けてから、手術に臨むことができました。ブレオマイシン、シスプラチン、エトポシドの3種類の抗がん剤を使うBEP法治療も功を奏し、精巣がんから転移したがんは、みるみる小さくなっていきました。

 ただ、抗がん剤治療の副作用は、予想をはるかに上回るものでした。吐き気や脱毛といった症状に苦しめられただけでなく、間質性肺炎を発症してしまったのです。間質性肺炎とは、肺の細胞が炎症を起こして硬く線維化し、呼吸機能が低下する病気です。ちょっとした動作で呼吸が苦しくなり、カゼを引いただけでも重篤な状態にまで悪化してしまうおそれもありました。

 当時の私は、ウルトラマラソンへの出場どころか、その日その日を生き延びるのが精いっぱい。自分だけが社会から取り残されてしまったように感じていました。生きる目的を見失い、絶望感を抱いて過ごしていたのです。

サロマ湖100㌔マラソンに復帰後サハラ砂漠で7日間にわたる250㌔のレースを完走しました

がんを経験して社会復帰を果たした人の体験情報が、闘病の大きな支えになったという大久保さん

 それでも、私たち人間の体というのは不思議なものです。複数の臓器を摘出し、肺の機能が3分の2になっているにもかかわらず、5年間の壮絶な闘病生活を経た私は、ついにサロマ湖100㌔マラソンへの復帰を果たしました。がんの告知から6年後の、2013年6月のことです。家族をはじめ、主治医や病院の職員さんなど、周りの人たちの支えがあったからこそ、ウルトラマラソンを完走できるほど回復したのだと思います。

 ゴールの瞬間は、なんとか完走できたことでほっとしていました。落ち着いてから結果を見ると、これまで出場した中で2番目の好成績だったので驚きました。

 サロマ湖100㌔マラソンには、その後も毎年参加しています。昨年、同大会に参加し、生涯10回目の100㌔完走を果たしました。近々、私の足形をとったブロックが、ゴール地点に飾られる予定です。

 今年の4月には、長年の夢だった第34回サハラマラソンにも参加しました。アフリカのサハラ砂漠で行われるサハラマラソンは、250㌔もの長距離を7日間走りつづけるという、極めて過酷なレースです。寝袋や衣類、7日分の食糧を背負って走ります。砂漠ならではの厳しい寒暖差にも耐えなければなりません。日中の気温が50度C近くまで上がる一方、夜の気温は2~3度Cほどまで下がります。それでも、サハラ砂漠の澄み渡った夜空一面に輝く星々の美しさは圧巻でした。

 世界各国からサハラ砂漠に集まった、猛者とでもいうべきランナーたちをはじめ、視覚障がいのあるランナーや、片足が義足のランナー、80歳という高齢のランナーたちとも過酷なレースを通してすっかり意気投合。サハラマラソンは、感動と刺激をもらえる最高の舞台でした。次に出場するときは、サハラ砂漠の夜空や現地での会話をもっと楽しめるように、星座とフランス語の勉強をしてから臨むつもりです。

 サハラ砂漠の他、ゴビ砂漠(モンゴル)、アタカマ砂漠(チリ)、そして南極で行われるマラソンは、「世界4大砂漠マラソン」といわれます。私の次の目標は、80歳までに世界4大砂漠マラソンを制覇すること。80歳でエベレスト登頂を達成した登山家の三浦雄一郎さんには、尊敬の念を抱くとともに大きな刺激を受けています。

闘病中にいちばん欲しかったのは同じ病気を乗り越えて社会へ復帰した人たちの情報でした

サハラマラソン主催者のパトリック・バウアーさんと肩を組む大久保さん

 闘病中にいつも感じていたのは、がん患者はとても孤独だということでした。いままでの生活が一転し、自分がこれからどうなってしまうのか、どうすればよいのかといった不安を誰かと共有したくても、同じ経験をしている人はほとんどいません。病気や孤独と闘いながら、「5年後の生存率は20%です」などといわれたら、絶望のあまり治療を受けずに死を選ぶ人がいても不思議ではありません。

 闘病中、私がほんとうに欲しかったのは、自分と同じがんを乗り越えて社会へ復帰した人たちの情報でした。治療法やそのリスクだけでなく、がんを経験した人たちの具体的な情報が、闘病中の私にとって唯一の希望の光だったのです。

 がんを経験した私は、医療以外の観点から闘病中の人を支援するしくみを作りたいと強く思うようになりました。そして、2015年、がんの患者さんやご家族が体験情報を共有できるコミュニティサイト「ファイブイヤーズ」を立ち上げました。 設立から4年がたったいま、ファイブイヤーズの登録者は7000人以上。日本最大級のがん経験者のコミュニティサイトに成長しました。登録者は年齢も職業も闘病経験もさまざまなので、生き方のお手本になる人を見つけ、目標にしてもらったり、希望が持てるようになったりしてもらえれば本望です。

 インターネット上の情報交換だけにとどまらず、2年前から交流会も開催しています。交流会は100人近くが集まり、とても好評です。患者さん1人ひとりに、自分と同じがんを克服して社会復帰を果たした「マイヒーロー」「マイヒロイン」がいます。コミュニティサイトで出会った憧れのヒーローやヒロインと実際に会って話すことでさらに交流が深まり、治療に取り組むための励みになるのです。

 先日、子宮体がんの患者さんから「お金や物が欲しいわけではない。希望や仲間が欲しい」といわれ、私は深く共感しました。患者さんが心から欲しいのは、何よりも「治療への希望」「孤独感の癒やし」、そして「体験情報」なのです。

 いま、年間100万人ががんになるといわれています。ファイブイヤーズに登録してくれるがんの経験者がもっと増えると、孤独と闘いながらがん治療を受けている患者さんの救いになります。がんの部位やステージだけでなく、性別や年齢、職業など、自分に限りなく近い体験情報が必ず見つかるコミュニティサイトに成長させることで、「がんをしても終わりではない」という確かな希望を届けられると思っています。