女房の料理と家族の存在が私の人生を変えました

俳優
志垣太郎さん

高校在学中に東宝の舞台『巨人の星』の主役として、華々しいキャリアを歩みはじめた志垣太郎さん。

端整な顔だちから「元祖イケメン俳優」とも称され、テレビドラマなどでも活躍。芸歴五十周年を迎え、現在も精力的に活動されている志垣さんに元気の秘訣を伺いました。

映画で見た「美剣士」に憧れて小学生の頃から俳優になると決めました

[しがき・たろう]

1951年、東京都生まれ。1969年、芸術座から『巨人の星』で主役デビュー。1974年、『青い山脈』、1976年、『あかんたれ』、1977年、『氷山のごとく』(以上、フジテレビ系列)などの主演を務める。グルメ・旅番組のレポーターとしても活躍。テレビドラマや時代劇では、コミカルな役からシリアスな役まで幅広く演じ分ける個性派として人気を博す。

  私は戦争で荒廃した日本がこれからまさに国民一丸となって復興を成し遂げていく時代に生まれ育ちました。日本中が元気と活気で満ちあふれている時代に、復興の象徴としてあったのが街頭テレビです。

 街頭テレビで大人気だったのがプロレス中継。屈強な外国人レスラーを空手チョップでバッタバッタとなぎ倒す力道山は、子どもたちの憧れの的でした。

 しかし、私がいちばん興味を引かれたのは、テレビドラマでした。中でもアメリカのホームドラマ『パパは何でも知っている』は格別でした。ドラマに出てくるガレージ付きの大きな戸建て住宅やマイカー、スーツをビシッと決めたパパ、おしゃれな洋服を身にまとったママなどは、当時の僕からすればまるでおとぎ話の世界でした。幸せを絵に描いたようなファミリーの姿がテレビの中に存在し、「自分も役者になってそんな世界で演じてみたい」と思ったのです。

 当時、映画やテレビドラマで「美剣士スター」と呼ばれ、時代劇で大活躍していた大川橋蔵さんとの出会いによって、役者の世界に入りたいという思いをいっそう強くしました。大川橋蔵さんの映画を見て「こんな剣士を演じる役者になりたい!」と一目ぼれしたのです。

 ただ、当時は小学生だったので、どうしたら役者になれるのか分かりませんでした。でも、少しでも役者に近いことをしようと、学校行事で行われる劇の発表会のときは脚本と演出を担当。そして主役を演じました。

 中学校に入学すると同時に、演劇部と剣道部に入部届けを出しました。しかし、演劇部は女性しかいなかったので、やむなく剣道部に入部することにしました。それまで剣道の経験はありませんでしたが、映画やテレビドラマでチャンバラ(剣劇)シーンは何百回も見ていたので、見よう見まねで殺陣のようなことも遊びでやっていました。そのおかげか、剣道を始めるとすぐに頭角を現し、ある大会では東京都で4位に入賞。3年間で初段まで昇りつめました。

 高校を選ぶ基準は演劇部があるかないかでした。入学と同時に演劇部に入部。大川橋蔵さんに憧れて役者になると決意してからは、「自分はできる」「絶対スターになる」という根拠のない自信に満ちあふれていました。1年生の頃から映画のオーディションを手当たりしだいに受けましたが、採用されるのは通行人などの脇役ばかり。でも、役者への思いと自信は変わらずに私の中に存在していました。

 高校3年生のとき、思いが現実のものになりました。東宝が芸術座で行う舞台『巨人の星』の主役・星飛雄馬役に大抜擢されたのです。その後は舞台に限らず、映画やテレビドラマなどにも出演するようになりました。役者としてだけでなく、バラエティーや旅番組など、多方面からもお声がかかるようになり、現在に至っています。

仙人のような剣士役をいつでもやれるようにけいこは欠かしません

殺陣(たて)のけいこは毎日欠かさないという志垣さん

「人生は太く短く」というのが、若い頃の考え方でした。仲間とにぎやかに過ごすことが好きな私は、健康には無頓着で外に出てはお酒を飲む日々でした。

 お酒に強かったこともあり、ジンやウォッカ、日本酒といったアルコール度数の高いお酒を1日に何本も空けることはざらでした。タバコは1日で4箱を空にする生活で、周りから体を心配されていました。

 いま振り返ると、あのまま昔の生活を続けていたら体調をくずしていたと思います。そんな私の人生を180度変えてくれたのが結婚であり、女房でした。彼女は私の体のことを気遣ってくれて、毎日体に優しい料理を手作りしてくれました。

 食生活は見違えるように一変しました。結婚前は肉や酒、米、麺ばかり食べていましたが、いまでは野菜を積極的に食べています。中でも大葉、ショウガ、ケール、セロリ、パセリ、パイン、酵素液、レモンティー、シークヮーサーといった野菜や果物をブレンダーにかけて作るオリジナルスムージーは、毎朝欠かさず飲んでいます。

30年以上も大切に使われている愛刀

 女房の料理は、健康にいいだけでなく味も抜群なんです。女房の料理が食べたくて、外で食べたり飲み歩いたりしなくなりました。そのおかげか、お酒の量はたしなむ程度になって、タバコも50歳を機にやめました。

女房と出会って生活が変化したおかげで、定期検査ではまったく問題なく、大病の経験もありません。だから、私の元気の秘訣は「女房」ですね。感謝してもしきれません。

 結婚して食生活が変わっただけでなく、仕事に対する思いも変わりました。それまでは自分のために役者を演じていましたが、いまは家族ために役者を演じていると考えるようになったからです。この思いは、子どもが生まれたことでより強いものになりました。

 家族にいつまでも役者・志垣太郎としてかっこいい姿を見せつづけたい。この思いが私の原動力にほかなりません。

 美剣士に憧れて芸能界入りを果たし、今年で50周年。正直、自分の中で理想とする剣士役にはまだなれていません。だから、いまでも毎日殺陣のけいこを30分間、刀を自由自在に扱うために必要な筋肉をつけるべく、腕立て伏せ50回×3セットを欠かしません。日々のトレーニングで身につけたものしか、実際の演技で出せないと思っているからです。

 そうはいっても、もう67歳。そこで考えているのが、すご腕の剣士を次々と斬っていく仙人のような武芸者役です。

 いまの私だからこそ演じられる、理想的な剣士像があるはずです。そんな役が巡ってくるまで、これからも毎日欠かさずにトレーニングを続けていきます。そして、願いが実現した暁には、いちばん大切に思っている家族に見てもらいたい、そして喜んでもらいたい――こんな夢を見ることができるのは、役者という素晴らしい職業を続けられたおかげかな!