余命20日といわれたYさんのがん克服エピソード

『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナー
杉浦貴之

[すぎうら・たかゆき]

1971年、愛知県生まれ。28歳のときに腎臓がんを発症し、両親には余命半年、2年後の生存率0%と告げられ手術を受ける。以後、『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナーとして精力的に活動中!
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 早くて余命半年といわれた腎臓がんの発症から20年目を迎えた私は、がんになる前よりますます元気に活動させていただいています。2010年からは、がん患者さん、ご家族、サポーターで参加する「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」を主宰しながら、全国での講演活動、がん克服者たちの体験を掲載した『メッセンジャー』という雑誌を発行するなど、忙しい毎日を送っています。

 今回は、『メッセンジャー』に登場してくれたがん克服者の一人で、余命20日の末期がんから生還したという強烈な印象を残している、愛知県常滑市在住のYさんのエピソードをご紹介したいと思います。

 現在72歳のYさんは、2004年8月に末期の悪性リンパ腫と診断されて、医師から「余命20日」という告知を受けました。医師からはホスピス(末期患者向けに緩和ケアを行う医療施設)へ行くことをすすめられましたが、Yさんのご家族は希望を失うことなく、家族一丸となってYさんの〝がん治し〟がスタートしたのです。

 知人の紹介で、愛知県豊田市にある「ユーユー健康館」という施設に赴いたYさんは、オーナーの前田宗歩先生の足ツボ施術を受けます。施術からわずか1日で体調の変化を感じたYさんは、以後も毎日、前田先生のもとに通うようになったそうです。

 Yさんが初めて前田先生を訪ねた翌日、娘さんが夏休みを過ごすために小学1年生になるお孫さんを連れて、Yさんの家に来ました。娘さんは「子どもたちがおじいちゃんと過ごせる最後の夏」と考えていたそうです。

 当時のYさんは体重が35㌔前後まで減り、体調の悪さから、いつも横になって過ごすことが多かったそうです。Yさんの寝室は2階にありましたが、リビングに大きめのソファを用意してお孫さんが2階で寝られるようにしたそうです。また、寝室で横になって1人で天井を見て過ごすのもおもしろくないからと、日中は家族がいるリビングで過ごせるようにしたいと思ったことも理由だそうです。

 お孫さんが遊びに来てから日課になったのが、お孫さんがYさんを起こしに来ること。目を覚ましたお孫さんが2階から転がるように元気に降りてきて、Yさんのほっぺたを両手で挟んで真正面から問いかけます。

 「じいちゃん、きょうしぬ?」
 
 初めてこう聞かれたとき、Yさんはゲラゲラと笑って、「まだ、今日は死ねんみたいやな~」と答えたそうです。その様子を見ていた家族はみんなで大笑い。毎朝、お孫さんの「じいちゃん、きょうしぬ?」でひとしきり場が湧いた後、Yさんは玄米粥と生野菜、お漬物などで朝食を済ませ、前田先生のところへ行き、交流磁気と足ツボの施術を受けたのです。

 前田先生の施術を受けるようになってから、Yさんは夕方になると熱が出るようになりました。午後3時頃から熱が出はじめ、夜中にかけて39・8度Cくらいの熱が毎日、1ヵ月ほど続いたそうです。Yさんは前田先生からこういわれました。

 「体が、がんと闘うだけの力をつけてきたね。がんは熱に弱いからこれからどんどんよくなるよ」

 といわれても、40度C近くの熱があるYさんは苦しさが続いています。ご家族に「そろそろ解熱剤持ってきて」と視線で訴えると、ご家族は「どうする? そろそろ飲ませたほうがいいかな?」「せっかく体ががんと闘ってるんだし、もうちょっと辛抱したらどうだろう?」と、ヒソヒソ話の作戦会議を始めたのです。

 ぐったりしているはずのYさんは意外にもヒソヒソ話がよく聞こえたそうで、「なぁ、みんな。勝手に会議するな! 俺の体やぞ。俺に聞け。しんどいんも、我慢するんも俺や~」と突っ込みます。対するご家族の返事は「ごもっとも! 40度Cの熱でも笑いを忘れない心、アッパレ!」

 Yさんはそんなふうにご家族に支えられて、一日一日を乗り越えていったのです。その後、数ヵ月後に受けた検査で、Yさんのがんはすべて消失していました。

 「交流磁気と足ツボ療法」「鍼治療」「体を温める温灸治療」「ゲラゲラ笑う」「玄米食、生野菜、根菜類、海藻類を中心にした食事」「酵素を取り入れる」「甘いものや体を冷やす食べ物はとらない」「飲み水を見直す」「きれいな空気を吸い、心穏やかに、恐怖心を捨て、感謝の心を持つ」
 
 以上が、Yさんとご家族が実践したことです。