神経障害・網膜症・腎症を合併した〝愛する夫〟と幸せな日々を過ごしています

国立病院機構仙台医療センター麻酔科部長
川村隆枝さん

糖尿病と高血圧を患っていた夫は倒れる数日前から顔色が悪くだるそうにしていました

[かわむら・たかえ]

1949年、島根県出雲市生まれ。東京女子医科大学卒業後、同大学産婦人科医局に入局。1978年、岩手医科大学麻酔学教室入局、同大学附属病院循環器医療センター麻酔科准教授を経て、2004年から現職。著書に『サベナの森と風』『心配ご無用ー手術室には守護神がいる』(パコスジャパン)、『「夫の介護」が教えてくれたこと』(アスコム)がある。

 私がいうのもなんですが、夫の圭一はダンディで、センスが抜群にいい人です。出会ったのは東京女子医科大学の医局で、夫は2年先輩でした。当時、夫はかなりのプレイボーイでしたが、患者さんに優しくて勉強熱心な姿にひかれました。特に高齢の患者さんに優しくしている姿を見て、「この人となら結婚してもお互いの両親を大切にできる」と思ったんです。

 夫は故郷の盛岡市で開業することを望んでいたので、私たちは岩手医科大学に移りました。その後、1984年に夫は義父の跡を継ぎ、川村産婦人科医院を開業します。私は岩手医科大学麻酔科を経て、2004年から国立病院機構仙台医療センターで勤務することになりました。盛岡から仙台まで新幹線通勤をしています。

 子どもは授かりませんでしたが、夫や愛犬たちと過ごす盛岡での暮らしは充実したものでした。このままときが過ぎ、「いつか年を取ったら、ハワイにでも移住しよう」なんていっていたやさきに夫が倒れたのです。2013年の夏のことでした。

 その日、私はいつもどおり仙台医療センターで働いていました。夜の9時過ぎに医局の電話が鳴ったので急患かと思ったら、「ご主人が倒れました」という岩手医大からの連絡でした。

「どうか生きていて」と祈る思いで病院に駆けつけると、夫がICU(集中治療室)でいくつもの管につながれている姿が目に飛び込んできました。夫は視床(脳の深部にあり、感覚神経などの中継地点としての役割を担う器官)に出血を起こし、左半身が完全にマヒしているとのこと。話すことはできないものの、自分の力で呼吸していて、私の声は聞こえている様子でした。

 倒れる少し前に夫は、ロータリークラブの活動でポルトガルに行っていました。帰国後、顔色が悪いような気がして「疲れてない?」と声をかけた記憶があります。別の日に外食に誘うと「だるいから行かない」といわれました。結局、その日は外食しましたが、夫が倒れたのはその3~4日後です。体調の悪さは視床出血の前兆だったのかもしれません。

 長年、糖尿病と高血圧を患っている夫は、糖尿病の3大合併症である神経障害、網膜症、腎症を視床出血が起こる前から患っていました。糖尿病は血管も劣化させるので、視床出血の原因になっていたかもしれません。

川村隆枝さんの最愛の夫である圭一さん(右)と撮影。いっしょにいられるだけで幸せと話す

 夫は食べることや飲むことが大好きなんです。節制をすすめても「俺は太く短く生きるんだ!」と豪語して、好きなものを好きなだけ食べる人でした。それならばと、大型犬を飼って運動を兼ねた散歩の習慣を身につけさせてきましたが、「もっと何かできたのでは……」と、後悔の念は尽きません。

 一命を取り留めた夫は家に帰ることを望みました。私も、リハビリさえすればいままでの暮らしに戻れると思っていたのですが、現実はまったく違いました。

 入院しながらリハビリできる期間は、慢性期の約3ヵ月なんです。1ヵ所でリハビリができればよかったのですが、事情により病院を転々としました。ある病院では、夜中に夫がトイレに行きたがると、介護士さんから「めんどうなのでしびんにしてください」といわれたり、夜中に目覚めたら徘徊癖のある患者さんがベッドのわきに立っていたりすることがあって、夫は気がめいっていたと思います。

 介護の現場は多忙で、良質なサービスを提供するのが難しいことは理解できますが、人間の尊厳や安全に関わることです。現場での改善が難しい介護の問題は、国家的な政策として取り組んでほしい課題の1つです。

 夫に対して行われる理学療法が、病院や個々の理学療法士によって異なることにも疑問を感じました。例えば、ある病院では歩行をサポートする長下肢装具をすすめられ、10万円かけて作りました。ところが、転院先では装具は不要といわれ、結局使うことはありませんでした。患者や家族が迷わないように、病院間の適切な連携の必要性も感じました。

 入院しながら受けていたリハビリが後半にさしかかると、夫を自宅で介護するか、施設に入所させるかの決断を迫られました。当時の夫は要介護5。自宅での介護が難しいのは分かっていましたが、この頃の夫は精神的に不安定でした。「家に帰れば気持ちが少し落ち着くのでは」という希望から、自宅で介護することにしました。

夫の異常行動の原因は視床出血の後遺症による高次脳機能障害と分かりました

愛犬のメルと触れ合う時間が心のオアシスになっているという川村隆枝さんと圭一さん

 みずから選んだこととはいえ、自宅での介護は想像以上に過酷でした。当時の私の睡眠時間は1日2~3時間だったと思います。それでも、「家に夫がいる」と思うだけで深い安らぎを覚えました。

 一方で、うまくいかないことも多々ありました。自宅では病院のように行き届いた介護が受けられるわけではありません。夫の精神状態は、より不安定なうつ状態になり、不眠症にかかってしまいました。食事は専門の方に介護食を用意してもらっていましたが、病院ほど完璧に作ることはできません。ときどき私の目を盗んでヘルパーさんにフライドチキンなどのジャンクフードを買って来させていた夫は、食生活が乱れて、ひどい便秘を起こしてしまいました。

 排尿の問題も深刻でした。寝たきりのため腹筋が落ちて、排尿が難しくなったのです。残尿は膀胱炎の原因になるので、排尿を促す薬を飲んでいました。

 心の不調が顕著になった夫は、異常行動が目立つようになりました。私に何度も電話をかけてきたり、過去に立ち会った死産を思い出して「警察を呼んでくれ!」といいだしたり、亡くなったお義母さんが現れたといいだしたりするようになりました。

 夫が起こした異常行動の原因は、視床出血の後遺症による高次脳機能障害でした。私に「あんたは敵か? 味方か?」といってきたり、頼りにしていたヘルパーさんに暴力をふるったりすることもありました。

 自宅介護はもうできないと思いはじめたとき、夫は不摂生な食事と便秘を解消するためにたびたび行っていた浣腸のせいで重度の大腸炎を起こし、病院に担ぎ込まれました。以後は介護施設に入り、いまもお世話になっています。

 次なる試練は誤嚥性肺炎でした。もともと夫は食べるのが早く、よく注意していました。嚥下反射が低下した夫は、マヒ側の左側の口腔内に食べ物がたまって、誤嚥を起こしやすくなっていたのです。状況は深刻で、息苦しさと高熱から意識は朦朧。医師から「人工呼吸器をつけて胃ろうを造設していいか」と確認を求められるほどでした。

 でも、夫は食べるのが大好き。口から食事がとれなくなったら、生きがいを失ってしまいます。かつて夫も「そこまでして生きたくない」といっていたのを思い出し、人工呼吸器の取りつけを見送って、夫の生命力に賭けることにしました。

 万が一のときの判断について、夫婦の間で話し合っておくことはとても大事です。九死に一生を得た夫ですが、脱水症状が続いて持病の糖尿病腎症が悪化しました。現在は週に3回、人工透析を受けています。

介護する側が幸せであれば相手に優しくなれるので自分の気持ちを書くといい

圭一さんと花見を楽しむ川村隆枝さん

 現在夫は、盛岡市の中心部にある高齢者介護複合施設で暮らしています。症状は安定し、若干ですが笑顔も見せるようになってきました。時間があるときは夫を車イスに乗せて外食したり、中津川の遊歩道を散策したりしています。忙しい医師どうしの夫婦として擦れ違いの多い日々を過ごしてきたので、こうした時間はほんとうに大切です。

 夫の介護を始めてまる5年。波乱万丈の毎日ですが、私は幸せです。それは私が、夫の幸せを思いつつ「自分の幸せ」についても意識しているからです。

 介護は、いくら献身的に尽くしても、終わりのない毎日。自分が幸せでいないと、相手を思いやって優しく接することができません。介護で疲れきっている方も多くいらっしゃると思います。そのような方に私がおすすめしたいのは、「自分の気持ちを書く」ことです。日記やブログで、介護の相手や身近な人にはいえない愚痴やつらい気持ちを言葉にしましょう。

 もう1つおすすめなのは、「家の外に自分の居場所を作る」ことです。仕事や趣味、ボランティアなど、何でもいいんです。どんなに大切な人でも、2人だけで向き合っていたら自分の世界が狭くなります。「自分の幸せを分けてあげる」という気持ちで、今日も精いっぱい仕事をし、人と話し、いろいろなものを見てください。私は愛する夫との二人三脚の介護生活を、これからも楽しんでいきます。