私の元気の秘訣

仕事も人生も試行錯誤の連続だと思います

小劇場ブームを巻き起こし、女優・演出家として活躍する木野花さん。猛暑の炎天下や豪雪地帯の極寒の環境下など過酷な撮影現場でも迫真の演技を行うための健康管理術を伺いました。

女優
木野 花さん

教師を辞めて演劇の世界に没頭したら神経性胃炎や片頭痛が治まりました

[きの・はな]

1948年、青森県生まれ。弘前大学教育学部美術学科を卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職。上京して演劇の世界に入る。1974年、東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と女性だけの劇団「青い鳥」を結成。翌年、旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的存在になる。1986年、同劇団を退団。現在は、女優・演出家として活躍。

 私は青森県の生まれで、幼い頃は、下北半島の山と海に囲まれた自然豊かな場所で育ちました。大自然を遊び場にして育ったことは、子どもの感受性にとって貴重な体験だったといまになって思います。小学校の高学年になって、田舎から青森市内に引っ越したときには、人工的な風景が灰色に見えたのを覚えています。

 街の子どもたちにもなじめず、自然の遊び場もなくて人づきあいが少しずつ煩わしくなり、中学・高校時代は親が買ってくれた文学全集ばかり読みふけっていました。灰色の現実より物語のほうが面白くて1種の現実逃避です。夏目漱石や芥川龍之介に始まり、高校時代はヘッセやドストエフスキーなどを夢中になって読んでいました。将来は小説家になりたいと妄想しながらも、自分の文章力の限界にすぐ気づき、あっさり断念しました。

 部活は、1人で取り組める美術部に入部。その流れで大学は美術学科を専攻し、教員免許を取って美術の教師になりました。しかし、『二十四の瞳』のような、生徒たちと楽しく交流するはずだった教師生活は、厳しい現実の前にあえなく挫折します。職員室での人間関係や授業以外の雑務に追われる日々は、予想以上のプレッシャーでした。

 やがてストレスで体調に異変が生じ、神経性胃炎や片頭痛、低血圧といった症状にさいなまれる苦しい毎日。職場の先輩からは「3年も我慢すれば慣れるよ」といわれましたが、そんなに長く我慢していたら、自分が自分でなくなってしまうという危機感に襲われました。教師を辞める決意をしたそのとき、そばにあった美術雑誌の演劇特集の記事にピンときました。演劇のような過激な世界に身を置いて、自分の甘えた根性を木っ端みじんに吹き飛ばし、鍛え直そうと思ったんですね。教師は1年で辞めてしまいました。

 その春、上京して養成所に入って本格的に演劇の勉強をすることになりました。風呂なし共同トイレのアパートで、皿洗いやウェイトレスなど、さまざまなアルバイトをしながらの貧しい演劇生活でしたが、教師時代のようなストレスを感じることはありませんでした。

 東北なまりを直すのに少し苦労したものの、演技だけでなく舞台制作全般について学ぶ日々は、充実したものでした。気がつけば、教師時代に悩まされた数々の症状も、すっかり治って逆に健康になっていました。

 演技のレッスンをして発見したことがありました。演技の世界ではよく、「解放」と「集中」が大切だといわれます。みずからを観客に向けて解放し、一方でその視線が気にならないくらい演技に集中する。実は、これは幼い頃に自然の中で遊んでいたときの感覚と同じじゃないかと。

 野イチゴを摘んだり、海に潜ってウニを捕ったり、大自然を相手に自由に動き回ったりしながら、足を滑らせたりおぼれたりしないように常に警戒心を持っていないと、命に関わります。まさに「解放」と「集中」です。子ども時代の遊びと演技をする感覚が私の中で一致したんです。知らず知らずのうちに自分の中に育まれていた感覚が、お芝居の世界に通じていることが分かると、演劇がいっそう楽しいものになりました。

炎天下や極寒の環境下での撮影ができたのは健康管理の賜物です

真夏の炎天下、迫真の演技をする木野さん

 女優という仕事は、どうしても不規則になりがちです。映画などの撮影が始まると、肉体的にも精神的にもプレッシャーにさらされます。もし体調をくずしてしまえば、共演者やスタッフの皆さんに多大な迷惑をおかけしますから、自己管理は不可欠です。

 不規則な生活ですが、1日の始まりに欠かさず食べるものがあります。ヘンプパウダー(アサの実)と豆乳と甘酒とアマニ油を混ぜた特製ドリンクです。青森県産の黒ニンニクは朝・晩に1粒ずつ食べます。特に黒ニンニクは、食べた若い演者さんから「汗が出すぎて困る」というくらい代謝をよくするので、シニア世代のエネルギー源にうってつけだと思います。

 まもなく公開される映画『愛しのアイリーン』では、撮影現場が猛暑の炎天下や豪雪地帯の極寒の雪山と、過酷な環境でしたから、撮影期間中はとにかく健康管理に気が抜けない毎日でした。私が演じるツルという女性は、猟銃を持って息子とその妻を追っかけ回すような過激な人物で、当初は「とても無理!体が壊れてしまう」と最後までもつのか不安でした。それでもどうにか全うできたのは、日々の健康管理の賜物ではないかと感じています。

 実は、2年ほど前に股関節の軟骨が完全になくなって変形性股関節症と診断され、杖なしでは歩けなくなってしまったことがありました。お芝居をするときは痛み止めの薬を飲み、手術以外の方法で治せないかと、できる限りの治療法を探して試しました。激しい痛みに耐えながら、このまま女優の仕事を続けられなくなってしまったらどうしようというプレッシャーとも闘ってきたので、病気を患う大変さはよく理解しているつもりです。

愛しのアイリーンのワンシーン

 それでもいままで前向きでいられたのは、心の中でいつも「この体験も無駄ではない。必ず後で生きてくる」と信じていたからだと思います。いまでは、人工関節手術を受けてリハビリをこなし、小走りできるほど回復しました。股関節症の経験があったからこそ、気づいたことがたくさんあります。「自分の体力・健康を過信しない」「最後まで諦めない」「悩む暇があったら考える」などです。

 病気になったとき、いちばん邪魔なのは悩んでネガティブな妄想を膨らませてしまうことです。その場で悩んでいるだけではいっこうに問題は解決しません。具体的な対策を模索しながら前に進むしかないのです。仕事も人生も同じ。試行錯誤の連続だけど、いまはその先にどんな景色が見えるのか楽しみながら歩いています。