大きな転機になった先輩患者・Nさんとの出会い

シンガーソングライター、『メッセンジャー』編集長
杉浦貴之さん

[すぎうら・たかゆき]

1971年、愛知県生まれ。28歳のときに腎臓がんを発症し、両親には余命半年、2年後の生存率0%と告げられ手術を受ける。以後、『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナーとして精力的に活動中!
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 「絶対に治す!」

 医師から伝えられた余命を「信じない!」と跳ね返してくれた両親の想いは病床の私に伝わり、私のスイッチが入りました。

 1999年の秋、手術後の激しい痛みに悶絶しながら抗がん剤の副作用で嘔吐をくり返し、真っ暗闇の未来に包まれる中、私の中に1つの夢が湧き上がってきました。

 「大学時代に走ったホノルルマラソンにもう一度出たい!」

 ただ夢を見るのではなく、走りきって涙を流しているゴールシーンをありありと思い描いて、つらい治療を耐え抜きました。退院後に5度の腸閉塞で倒れても、「いつか絶対に叶えてやる!」と、この夢だけはずっと諦めずに持ちつづけたのです。

 しかし、そこへ向かう道のりは決して平坦なものではありませんでした。手術から1年、2年がたっても、消えない倦怠感、くり返される腸閉塞……。体調がよくなる兆しは見えず、一生、この鈍く重い体で生きていくのかとさえ思いました。

 ホノルルマラソンは毎年開催されています。手術から1年、2年、3年……私は毎年、ホノルルマラソンを見送りつづけました。まだまだ走るなんて無理、こんな体調で走れるわけはないと、いつもできない理由を作って。もちろん、夢を諦めたわけではありませんでしたが、自分自身に、「自分は元気ではない。ホノルルマラソンに出るなんて、まだまだ無理だ」と、ずっと暗示をかけつづけていました。

 手術から6年目を迎えた2005年のある日、運命を変える出来事がありました。がんサバイバーの先輩・Nさんとの出会いです。1999年に乳がんを患って手術を受けた彼女は、その1年後にはスキルス性胃がんが見つかり、ご主人には「余命半年」と告げられていました。しかし、Nさんは手術を拒否し、食事療法をはじめ、人間が本来持っている自然治癒力を高める方法で、9年間も生き抜いていました。しかも、命をなんとか長らえているのではなく、元気に輝きながら。

 Nさんにある日、突然こんなことをいわれました。

 「杉浦くん、そういえばラジオで『もう一度、ホノルルマラソンに出場するのが夢』といっていたよね。今年いっしょに走らない?」

 「えっ? 今年ですか? まあ、『いつか走れたらいいな』というくらいの軽いノリでいったんですけどね……」
 
 「『いつか』『元気になったら』なんていっていたら、そのときは永遠にやってこないわよ! 今年走ると決めちゃいなさい! 元気になると決めちゃいなさい!」
 
 「いや~でも~」
 
 「でもじゃないの! そうやってね、できない理由ばかりいっていたら何も変わらないの。あなたは永遠に不健康の現状維持ね!」
 
 「はは、確かに……」

 「じゃあ、杉浦くん。とりあえず、エントリーしちゃいましょう!」

 というわけで、ほぼ強制的にホノルルマラソンの参加申込書にサインをさせられたのでした(笑)。

 私は覚悟を決め、腹をくくりました。もしかしてこれはよい機会なのかもしれない、何かが変わるきっかけになるかもしれないと思いました。
 
 「できない理由ばかりを並べて言い訳をするのはやめよう。ホノルルに行かなくても、それなりに楽しい日々が待っているでしょう。そしてたぶん、この慢性的な倦怠感や疲れやすさも変わらない。でも、もしホノルルに行ったら、ゴールの先に、より元気に躍動する自分がいるかもしれないじゃないか」

 原点にかえり、病床で描いた夢、ホノルルマラソン完走の夢を、もう一度、心に強く思い描いてみました。

 「走る」ことを決意したものの、私はまったく元気ではありませんでした。見切り発車も同然です。
 
 ホノルルマラソンの本番3ヵ月前は、たった1㌔走っただけで心臓が痛くなり、その場に倒れ込んでしまいました。それでも諦めるわけにはいきません。「ゴールの先には元気になった自分が待っていてくれる!」。そう信じて、1日100㍍ずつ距離を延ばしていきました。

 ジョギングを再開してから1ヵ月後の10月には3㌔、11月には5㌔、本番直前の12月に入ると、10㌔以上走れるようになっていました。「大丈夫、俺はできる!」。脳が描く明るいビジョンと、くり返し伝えられる前向きな言葉に体の全細胞たちが呼応し、躍動を開始したような気がしました。

 体は常に変化していきます。その環境さえ整えてやれば、細胞は本来の姿に戻ろうとするのではないでしょうか。いつも邪魔するのは頭の中の「できない」という思考です。「体」はいつでも元に戻ろうとしているのではないでしょうか。