〝ミスタープロ野球〟〝世界のホームラン王〟とも親交が深かった日本プロ野球界初のチームドクターからの「生涯現役メッセージ」

長野寿光会上山田病院整形外科医師
吉松俊一

一通の手紙がきっかけとなり日本プロ野球界で初のチームドクターとして貢献してきました

[よしまつ・しゅんいち]

日本整形外科学会専門医、日本リウマチ学会専門医、日本リハビリテーション医学会認定臨床医師、日本体育協会公認スポーツドクターとして活躍。主に子どもの肩・ひじ関節、またスポーツ現場で見られる腰痛と遺伝の関連性などを40年以上の長期にわたって研究。さらに、日本屈指のスポーツドクターで、負傷したプロスポーツ選手が数多く治療に訪れ、復帰に貢献している。千曲中央病院整形外科(兼務)。

 私は、日本プロ野球界の一翼を担うチームドクターの先駆けとして、これまで数多くのプロ野球選手を心身両面から支えてきました。私が日本プロ野球界初のチームドクターになったきっかけは、一通の手紙でした。

 長嶋茂雄監督が巨人軍を初采配した1975年。そのシーズンはチームの戦力が落ちて、巨人軍が球団創設以来初の最下位に終わりました。

 野球好きな私は、週末によく多摩川で二軍選手のプレーを見ていました。その中に故障しているにもかかわらず練習している選手がいたことから、巨人軍の球団関係者に「二軍選手は将来一軍を担う金の卵。新たに三軍を設けて故障した選手を治療に専念させるべきです」という内容の手紙を出しました。

 いまでは、故障した選手を「故障者リスト」に登録するのはあたりまえのことです。ところが、休むことが許されない風潮だった当時としては、画期的な提案だったそうです。その提案が球団に認められ、翌年から日本プロ野球界初のスポーツドクターとして、宮崎県で行われる巨人軍の春季キャンプに行くことになりました。

 そのほか、私の提案したアイシングやトレーニング法、水泳、休暇の必要性などが日本プロ野球界の現場で徐々に受け入れられ、しだいに頼りにされる存在になっていきました。数多くの球団から依頼が寄せられ、多いときでは10球団以上の春季キャンプを回りました。また、シーズン中には、国立長野病院(現・上山田病院)で故障した選手たちの治療にあたったのです。

医者の不養生で患った脊柱管狭窄症を筋力アップ・ストレッチ体操で素早く克服しました

草野球チーム「生涯球友」の皆さん。〝98歳まで現役〝を合言葉に練習に励む

 これまで私が親交を重ねた選手の中には、プロ野球史に残る伝説的な活躍をしてファンを魅了した大スターたちも含まれます。一例を挙げれば、〝ミスタープロ野球〟の異名を持つ長嶋茂雄元監督です。ご縁があって、ご家族の健康管理も担当させていただきました。また、〝世界のホームラン王〟である王貞治元監督からは、いつもていねいな手紙をいただきました。

 私は「分け隔てなく誰とでも平等に」をモットーにしていましたので、あまたのプロ野球選手をはじめ、他球団の関係者にも受け入れてもらえたのだと思います。正力亨元読売ジャイアンツオーナーには、大阪タイガース(現・阪神タイガース)で物干し竿のような長いバットでホームランを連発した藤村富美男元選手をはじめ、何人もの他球団の選手までご紹介いただきました。現在では、後進のチームドクターに道を譲るようにしていますが、一つひとつの出会いに、容易には語り尽くせないほどの思い出がぎっしりとつまっています。

 時は移って2014年。長野県では比較的雪の少ない地域の千曲市が100年に1度といわれる大雪に見舞われ、積雪が60㌢以上に及びました。体力には自信があったのですが、一日中自宅前の雪かきをしていたところ、腰に鈍痛を覚えました。整形外科医の私が、腰部脊柱管狭窄症になったのです。しかし、筋力アップ・トレーニングやストレッチ体操を行っているおかげで、症状が素早く改善し、その後は痛みが気になることはほとんどありません。

 いま、私が所属している早起き野球チームと全日本生涯野球チームの平均年齢は約75歳です。70歳を過ぎると、何かしらの故障を抱えているものです。しかし、皆で「98歳までは現役プレーヤーでいよう」と励まし合っています。

 他人から見れば、バカらしいことかもしれません。しかし、どんな夢でもいいから、夢中になれる目標に向かって真剣に打ち込む――これが、整形外科医として、80歳を超えたいまでも現役で働きつづける私の健康の秘訣です。