私は多くの人に 助けられて生きている――。肝炎になって初めて気づかされました

歌手 石川ひとみさん

けいこ中にめまいが起こり検査を受けてB型肝炎とわかりました

[いしかわ・ひとみ]

1959年、愛知県生まれ。1978年に歌手デビュー。1981年『まちぶせ』が大ヒットし、NHK『紅白歌合戦』に出場。1987年にB型肝炎を発症して歌手活動を休業。1988年に活動を再開。闘病記に『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。現在はライブ活動に加え、健康に関する講演活動も行っている。今年、デビュー40周年を迎える。

 デビュー以来、私はいろいろなことを学んできました。いまになっていちばん強く思うことは、「人間は1人では生きていけない」ということ。励ましたり励まされたり、みんなで手を取り合って生きていくものだと思っています。

 幸いなことに、私の人生の転換期には、必ず誰かの支えがありました。多くの人に支えられて、いまの自分がある。27歳のときに発症したB型肝炎を克服してから、そう考えるようになりました。

 小学生のころ、歌手の天地真理さんにあこがれていた私は、中学生になるとフォークソングを聴くようになりました。「私も歌手になりたい」という思いから、高校生のときに地元・名古屋にある東京音楽学院に通うようになりました。

 ところが、音楽学院の月謝が値上げされることになり、教室をやめることになったんです。せっかく歌を練習したのだから、オーディションを受けてみたいと思いました。落ちればスッキリすると考えてオーディションを受けると、当時歌手の登竜門番組だった『君こそスターだ!』に出演することになったんです。

 私の通っていた高校は風紀が厳しく、ビクビクしながら担任の先生に「番組に出演したいです」と相談しました。すると、「よく話してくれた」と、番組への出演を応援してくれたんです。番組の出演がきっかけになり、高校卒業後に芸能事務所に入ることになりました。

 芸能界に入った私は、右も左もわからない状態で、ただがむしゃらに仕事をしていました。レギュラー番組の収録日が決まっていたので曜日の感覚はありましたが、北は北海道から南は沖縄まで日本全国を毎日飛び回っていました。とても多忙な日々でしたが、当時は若かったからか、ひと晩寝れば翌朝は元気になっていました。

(右)ヒット曲となった『まちぶせ』は、石川さんが「この曲が最後になっても後悔はない」という気持ちで臨んだもの
(左)歌手の登竜門番組『君こそスターだ!』の出演をきっかけに、歌手としてデビューした石川さん

 デビューして4年めに入ったころ、なかなか歌手として満足な結果が出せないので、10枚めのシングルレコードを最後に歌手活動に一度区切りをつけ、自分を見つめ直してみようと考えていたときのことです。次の曲の候補に『まちぶせ』という曲があり、詩の内容も曲調もすべてがすばらしく、「この曲なら、たとえ最後の曲となったとしても後悔はない」と思いました。幸いなことに、『まちぶせ』はたくさんの方に愛される曲となり、私自身も歌える幸せを感じ、うれしさでいっぱいでした。

 皆さんの応援のおかげで芸能活動を順調に送っていたとき、異変が起こりました。初めてのミュージカルの舞台に立つためのけいこをしていたある朝、突然激しいめまいで動けなくなってしまったのです。1日入院して血液検査を受けたら、B型肝炎を発症していると判明しました。

 診断される数年前に、私はすでにB型肝炎のキャリア(未発症のウイルス保有者)と診断されていました。原因は母子感染です。当時は深刻に考えず、たまに検査を受ければいいのかなと考えていました。

 B型肝炎が発症したさいに、担当の先生から「悪化しているのですぐに入院してほしい」といわれました。舞台初日まであと10日というタイミングだったので、私は返事に窮してしまいました。決めたのは先生の「大事なのは仕事ですか、それとも命ですか?」という言葉。やむなく舞台をあきらめました。

 入院中の移動はすべて車イスでした。歩ける体力はあったのですが、体力を消耗させてはいけないといわれました。薬を飲んで点滴と注射をされたら、あとはベッドで寝ているだけの生活でした。

 40日間入院した後は、1年間の自宅療養が始まりました。週に1回、血液検査に通い、リハビリテーションを行う毎日です。最初は10分のウォーキングから始まり、少しずつできることを増やしていきました。

B型肝炎の偏見に苦しんだとき、夫の支えに助けられました

B型肝炎の苦しみを乗り越えた石川さんは、肝炎に関する講演活動にも取り組んでいる

 当時はいまよりもB型肝炎に関する偏見が大きく、つらい毎日でした。街中で握手を求められたとき、「B型肝炎がうつるよ」と大きな声でいわれ、握手を求めた人が手を引っ込めたこともあります。水泳教室に行ったときも、「子どもたちにうつるから」と、父兄からプールに入らないでほしいという要請がありました。握手をしてもプールに入っても、B型肝炎が感染することはないのに――。

 苦しかったときに支えてくれたのは夫でした。まだ当時は結婚していませんでしたが、彼の存在は精神的に大きな支えになりました。彼は私がB型肝炎になっても、態度を変えず、いままでどおり自然体で接してくれたんです。

 夫をはじめ、多くの人に支えられたことで、落ち込んでいる場合じゃないと思えるようになりました。「まだ歌手として活躍したい」「肝臓病を経験した私だからこそ、できることがあるはず」と、前向きに考えられるようになったんです。

 1年間の自宅療養後、そろそろ仕事を再開しようと考えていたとき、舞台のお仕事をいただきました。しかし、夏の暑い時期なうえ、公演は長期間で1日も休みがありません。復帰直後の仕事として、大きな不安がありました。体調をくずしたら、まわりの皆さんに迷惑をかけてしまうかもしれません。

 担当の先生に相談すると、「いつまでも病気を怖がってはいけません。いまは状態が安定しているから大丈夫」と、背中を押してくれたんです。万が一のため、会場のある京都の医療機関を手配したうえで、舞台に挑戦することにしました。

私ができる範囲でみんなが元気になれる活動をしていきたい

肝臓病を患っても「まだ歌手として活躍したい」という気持ちが消えなかった石川さんは、40日の入院と1年の自宅療養を経て歌手に復帰した

 B型肝炎は完治しない病気なうえ、自己管理と症状が比例しない病気です。どれほど気をつけていても発症が予測できないため、まわりの人に病気を理解してもらうことや、主治医との連携には細心の注意を払っています。

 毎日心がけているのは、バランスのよい食事と規則正しい生活です。一方で、神経質にならないことや、病気に関して必要以上に悩まないことも大切だと思っています。無理のない前向きな気持ちと、自然体で人生を歩んでいくことを意識しています。

 B型肝炎を経験してから、肝炎や感染症などをテーマにした講演活動もするようになりました。応援するつもりで講演会場に行っても、逆に皆さんから元気をいただいています。

 芸能活動を始めて、今年で40周年を迎えます。ここまで来ることができたのも応援し、支えてくれた皆さんのおかげです。今後も芸能活動や講演を通して、肝臓病の患者さんはもちろん、多くの方が元気になるお手伝いができたらと考えています。